とある田舎の夕暮れに影三つ。膝小僧を黒く染めたワンパクそうな子供たち。影が伸びるのも構わずに、村を外れて近くの林に行こうとしていた。

『お待ちなさい』

と、子供たちを呼びとめる声がする。

参ったな。すぐに行って戻ればばれないと思ったのに、もし母親に言いつけられたらまたゲンコツ一つお見舞いされてしまう。

3人とも同じことを考えていたのだろう。首をすくめながら振り返る。

『君たち、今日はもう遅い。すぐにお家に帰りなさい。』

そういったのは長身の若い男、と言ってもすでに30を超えているのだが。その顔にまだ少年の優しさを残しているその男を見て、子供たちはほっと胸をなでおろす。

『こんばんは神父様』

『こんばんは神父様』

『こんばんは神父様。こんな所で会うなんて珍しいですね』

そう、この長身の男は最近この村にやってきた神父なのだ。物腰は穏やかで、いつでも子供や老人の手助けをし、また神学以外の教養もある。

そんなわけで村人たちに絶大な信頼を寄せられている人物である。3人の子供たちもまた例外ではなく、この神父を慕っていた。

『たしかにそうですね。今日は隣町の方に少し出かけておりまして、その帰りです』

今、4人が経っているのはY字になった道の中心である。一つは村へ、一つは林へ、そしてもう一つの道は隣町へと続く街道となっている。

『そうだ、折角ですしこれをどうぞ。貰い物ですがおすそわけです』

そう言って神父はこんがり焼けたパンを取り出す。表面には砂糖がまぶされており、夕日を浴びてキラキラと輝く。子供たちの眼はそれよりも輝き、神父様に深く頭を下げる。

『ありがとうございます神父様』

『ありがとうございます神父様』

『ありがとうございます神父様。ところで・・・その・・・』

おずおずと申し出る子供を見て、二コリとほほ笑む。

『ええ、君たちのお母さんたちには内緒にしておきましょう。遅くから林に向かっていたことも、このパンのこともね』

そう言ってそばかすの少年の頭をなでる。この年の頃の少年というのは、大人に頭をなでられるのを嫌がるものだが、不思議と神父様にされるのは嫌じゃない。

『でもね、君たちもお母さんにあまり心配かけてはいけませんよ?孝行したいときに親は無し、といいますからね。・・・なんて、僕が言えたものでもないですけどね』

何かを思い出したのか、くすりと笑う神父。子供たちはこの笑い方を知っていた。父親たちが酒を飲みながら若いころの武勇伝をしているときのそれである。もっとも、神父様の笑い方ほど上品なものではないが。

『神父様も、子供の時は遅くまで遊んでいたのですか?』

一番小さな子供がそう尋ねる。その横ではくせ毛の子供が目を輝かせながら神父様を見上げている。

『亡くなった母は凄く厳しい人でしてね、よく家の手伝いを無理やりさせられて。友達と遊んでいるときも連れ戻されたりして、それが嫌でよく林に逃げ込んでいたんです。

そうですね。ちょうどいまの君たちと同じようにね。木に登って鳥の巣を覗いたり、沢で釣りをしたり、ウサギを追いかけたり・・・本当に、懐かしいですね』

『遊ぶのに夢中で、帰るたびに母に耳を引っ張られたりもしました。それこそ僕がウサギになりかねない位にね』

まるでいたずらっ子のように笑う神父。それにつられて子供たちも皆笑う。

『・・・っと、話が過ぎましたね。もうだいぶ日が落ちてしまいました。』

気がつけば夕日の半分以上はすでに山に埋まっていた。お互いの顔も確認できない、まさに黄昏時。

『・・・そういえば、周りが暗くなって帰り道が分からなくなったことはありませんか?』

子供たちが村へ歩き出そうとした瞬間、神父がそう尋ねた。

『ありませんか?』

今までと変わらない抑揚で。丁寧でありながら、友人として語りかけるような声。

子供たちは振り返る。今にも沈みそうな真っ赤な夕日を背負った神父の顔はよく見えないが・・・笑っていた。

『はい、あります』

『僕も』

『僕もあります』

そう答える3人の影は長い。神父の影はもっと長い。長くて、長くて、まるで黒い大蛇のようだ。

『そうですか、では、君たちのために一つ良いことを教えてあげましょう』

神父の髪が風になびく、大蛇の舌がちらりと揺れる。

『何度かお話したこともあるかもしれませんが・・・この時間はね、人ならざるものが現れることが多いのです。・・・ほら、今話をしている僕たちもお互いの顔がよく見えないでしょう?そこに、人ならざるものはつけ込むのです』

『つけ込む・・・?』

『ええ、彼らは狼のように人を襲うだけ力は持ちません。その代わりにひどく悪賢い。彼らはね、人間を道に迷わせ、自分たちの住処の近くまでおびき寄せ、何匹もの仲間で襲い掛かる。そう、道に迷わせるのです・・・』

くせ毛の少年は身震いをする。小さな猿のような悪鬼が何十匹もまとわりつき、自分の肉を貪る想像をしてしまったのだ。

その少年の肩を抱き、神父は静かにこう答える。

『大丈夫、心配しなくていい。もし、彼らが君たちを騙そうとしても、きちんと対処することが出来ればなにも恐れることはありません』

『ど、どうすればいいんですか!?』

そばかすの少年が神父の袖を強く引っ張る。彼もまた、恐ろしい想像をしてしまったのだろう。その眼にはうっすらと光るものが見える。

『すみません、どうやら驚かせてしまったようですね。そのつもりはなかったのですが・・・・・・彼らがどうやって、君たちを騙そうとするか。わかりますか?』

『・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・わかりません』

『それはね、分かれ道ですよ。そう、ちょうどここの様にね』

『ここ・・・?』

じりと、恐れおののいた子供たちは一歩下がる。

『彼らはね、君たちのように遅くまで遊んでいる子供を狙うことが多いのです。たとえば、君たちがあの林で遅くまで遊んでいたとしましょう。野苺もたくさん集めて上機嫌のままこの分かれ道にやってきます』



『・・・おや、家への道はどっちだったろうか。林の中ですでに人ならざるものによる揺さぶりは行われていました。君たちは自分の家のある方向が分かりません』



『右だったろうか、それとも左だったろうか?いや、それとも今来た道をもどったほうがいいのだろうか?どの道を歩けばいいのか分からないまま日が沈み、立ちすくんでしまいます』

『・・・そして、しばらくすると片方の道から明るい物が近づいてきます。ゆらり、ゆらりと、少しずつ、少しずつ、君たちのいるこの分かれ道に近づいてきます』

『う・・・』

背の小さな少年が思わず声を漏らす。だが、神父はそれに気づかないように話を続ける。



『君たちは、怖くて逃げだしたくなる。だけど分からない。どこへ逃げればいいのか分からない。右か、左か?わからない。わからない・・・』

『そんな風に動けずにいると、いつの間にか光はすぐ傍までやってきています・・・』



『・・・』



子供たちはお互いの体を抱きよせる。秋口に入ったばかりだというのに、林から吹く風は子供たちの体温を根こそぎ奪う。

『・・・その光は、その光は・・・』

ゴウッ!!

突風が吹く。眼に砂が入るが眼を閉じることが出来ない。もしも今、目を瞑ってしまえば、次に目を開けたその時に、なにか恐ろしい物がすぐ傍までやってくるような気がしたからだ。

そして、神父様の言葉を待つ。



そして、静かに、神父は口を開く。

『・・・ ・・・その光は、ランプの光でした。帰りに遅い君たちを心配して、お母さんが迎えに来てくれたのです』



ほっ。と安堵する子供たち。考えてみれば今までも何度かそういうことはあった。神父様の話し方に引き込まれて、恐ろしい物を想像していた自分が情けない。



・・・砂ぼこりを取ろうと、目を閉じて、擦ろうとした



『・・・それが、本当に君たちのお母さんだと良いのだけれど』



びくりっ!



神父様は、一体何を言おうとしているのだろうか。瞼を開けることが出来ない。擦ることもできずに、次の言葉を待つ。



『そう、人ならざるものはね。不完全ながら人に化けることができるのです。と、言っても日の下ならばすぐに見破られる程度のものですがね。・・・だからこそ、彼らはお互いの顔が見えなくなるこの時間を狙うのです』



ごくりと唾をのんだのは一体誰だろう。僕だろうか、それとも他の二人のどちらかだろうか。



それとも・・・ ・・・ 他の何かだろうか。恐ろしくて眼を開けることが出来ない。



『もしも君たちが何の疑いもなく、お母さんに化けた彼らに付いていってしまえば・・・ ・・・君たちは二度とお家に帰ることはできません』

『ど、どうすれば見破ることが出来るんですか!?』

目をつむったまま叫ぶ。欲しい、欲しい、答えが欲しい!この恐怖をかき消してくれる答えが!瞼を開ける勇気を取り戻すだけの答えが!!



『なに、簡単なことですよ・・・』

そういうと神父は、いつの間にか拾い上げたのか。太い木の枝をブンっと振る。

『彼らはね、賢くもあり、変化の能力もあるけれど、しかしひどく打たれ弱い。せいぜい人間と変わらない程度です。』

『思い切り打ちすえるのです。もしも、その迎えに来た母親が偽物だとすると、死んでしまった人ならざるものはその変化を解き、本来の姿に戻ります。

そう、つまりお母さんの死体が変化した場合は、その者が来た道とは反対を。逆に、死体がそのままであった場合にはそのものが来た道を歩いていけば君は家にたどり着くことが出来るのです』 そういうと、神父は木の枝を地面に放り投げる。乾いた音があたりに響き、まるで魔法が解けたかのように3人の体に体温が戻る。

『・・・あぁ、まずいですね。急がないと君たちが家に着くまでに日が完全に沈んでしまいますね。さぁ、早く帰りましょう』

神父は子供たちを促して先頭を歩きだす。

『あ、待って下さい』

『ほら、お前も早く』

『・・・うん』



4人で道を歩く。歩く。歩く。歩く・・・。

・・・あれ、そういえば、この道は、右だったっけ?左だったっけ?あれ?あれ?





















そういえば、今日の神父様はどこか変だ。どこが変だと聞かれたら、答えることはできないけれど、なぜだかいつもの神父様と違う気がする。

『あれ・・・あれ・・・あれ・・・?』

前を歩く二人は、何も疑わずに神父様について行く。

あれ・・・あれ・・あれ・・?

なぜだろう・・・この道を歩いていくと・・・二度と帰れないような気がする・・・。

怖い・・・怖い・・・。

すでに瞼は開いているはずなのに、いつの間にか辺りは暗闇に包まれている。

このまま『神父様』を信じていてもいいのだろうか・・・もしかして、この『神父様』は本当の『神父様』じゃなくて『神父様』に化けた・・・。



こつり

足もとに何かがぶつかる。

それは、誰かが置き忘れたのか。農作業用の手鎌だった。

それを、拾い上げる。

そうだ。そうだ。そうだ。簡単なことじゃないか。

少し早足になって、神父様のすぐ後ろに付く。背が高いから頭には届かないけれど、首にはぎりぎりで届くだろう。



















『確かめてみよう』