■補足情報 ・性格  王にして神たる者の自信と威厳に満ち、常に威風堂々と振舞う。  一人称は『余』。  またマスターに対しても「マスター」という呼称は使用しない。  しかしそれは支配者としての民に対する責任と自負を伴い、必ずしも尊大傲慢な印象を与えるものではない。  自分自身の偉大な力や高い地位は生まれ持ってのものである以上単に当然のものであって誇るようなものではなく、  国と民とを栄えさせ幸福で豊かな生活を与えることが王にして神である自分の仕事であり喜びであると考えている。  自分自身が神であり理想の君主であると考え、地上全土を自分が統治し裁定し導くことが全人類にとって  もっとも幸福な状態であると本気で思っており、  この為、悪意はないのだが人によっては圧制者と見られ反感を買うこともある。  かつて志を違えた弟(血はつながっていない)があり、彼が一連の同族とともに  自分の統治を拒み荒野へと旅立って行ったのを止められなかったことを過去の唯一に近い悔いとしている。  また、結構な色好みであり、女性に対しては露骨に態度が優しい。  他の太陽神格に対しては、男性ならば「我が分身」、女性ならば「我が妻」と呼んで粉をかける。  割とおしゃれや身だしなみに気を使う方で、現代のファッションに興味津々。  マッチョダンディー。 ・方針(聖板戦争での立ち回り方)  基本的にはマスターを軍師として扱い、ゲーム的な感覚で積極的に且つ堂々と天下取りを目指す。  謀略政略も嫌いではないが、犠牲者を出すことは好まないため悪辣なマスターとは合わないだろう。  ゲームで臣民を傷つけることは良しとしていないので、基本的には相手を心服させた上で降伏を促すことを好む。  一方、残虐や卑劣などの悪なるものには容赦なくバチを当てる姿勢で臨む。 ・戦闘スタイル(強み・弱点含む)  魔力と神性により神の域に高められた肉体を武器に格闘戦を行う戦闘魔術師(というか神)。  肉体から太陽の炎を生み出せるため、これを拳に纏わせ殴ったり、飛び道具として投射したり、  距離を問わずオールラウンドに戦える。  格ゲーの炎使い、或いはパイロンとかフェルデンとかみたいなものを想像するとよいかもしれない。  漫画ネタだったらダークシュナイダーとか。  筆者的にはマグニートの動作が念頭にあったりした。 ・戦闘時相性の悪い相手・良い相手  太陽のエネルギー(核熱)は普通の炎とは異なり、また単純に破壊力が凄まじいので  余程特殊な防御方法(能力)を使う相手以外には簡単に大打撃を与えることができる。  特に攻撃範囲が余波も含め広域に及ぼせる関係上、厄介なサーヴァントでも  マスターをもろともに攻撃することで苦しめられるというのは利点。  鎧などは着ていないので防御は弱そうに思えるが、全身を数千度の炎の柱と化すことも可能で  こうなるといるだけで周りは大惨事である。  ただ、攻撃防御ともに特殊攻撃の類が少なく、単純に物理的打撃力の勝負となるため、  特殊能力が強力な相手には苦戦することもありうる(不死身を殺しきれないとか)。  また、能力の火力が高く広範囲に及び易い関係で、チームを組んで戦うような場面では  味方を巻き込む危険が生じてしまうのも弱点。 ・性格的に相性の悪い相手・よい相手  典型的な秩序・善の性格を持つため、同様のアライメントを持つ者とは基本的に親和性が高い。  特に騎士道・武士道などは王も高く評価する。  ただその場合相手側が王を君主、または君主と同格の人物として受け入れられるかという問題は生じるが。  過去の因縁のためと相手側の教義の内容の問題でキリスト教及びユダヤ教をあまり快く思っていないが、  それでも王にとっては彼らも等しく導き繁栄を与えてやるべき臣民のうちに入っているようである。  (王にとっては一神教の神=太陽神(=自分)が内に持ち規範とする正義の異民族的擬人化として結び付けられるようである)  反対に、悪に対しては妥協せず神罰を与える。  テロリストのような政治的信念から悪事を行うものや、正義の相対性を主張して  悪性を正当化するような類の輩には特に容赦がない。  彼にとっては守るべき絶対の正義や善は間違いなく存在し、それは自分によって実現されるものだからである。 ・最後のサーヴァント自身から一言!  「余こそは真の王にして神、万物に命を与え、光を以って衆生を導く日輪である。   汝ら平伏し余を崇めよ。   汝ら臣民全ては我が威光により平和にして幸福な生活を享受する権利を有しておる。   よって余がそれを与えよう。   汝ら臣民は皆喜ぶがよいぞ。」