■“西楚の覇王”項羽 姓は項、名は籍、字が羽。秦末期の楚の人、中国史上最強の武将。 楚の将軍であった項燕の孫で、項家は代々楚の将軍の家柄である。 両親を早くに亡くしたため叔父の項梁に養われていたが、 文字を習っても憶えず、剣道もやらなかった。 項梁が叱ると、「文字は自分の名が書ければ十分、剣術など1人を相手にするものはつまらない。 私は万人を相手にする技を学びたい」というので、項梁は喜んで兵法を教えたという。 成長すると身の丈9尺の巨漢となり、怪力と才気は人に抜きん出ていたので一目置かれるようになる。 秦末期、陳勝呉広の乱が起きると、項羽は項梁に従って会稽郡を拠点に挙兵。 項梁はその旧王家の末裔を探し出してこれを復興、反乱軍を結成するがあえなく戦死。 項梁の死後、項羽はその弔い合戦に勝利して頭角を現し連戦連勝、ついに秦を滅亡させる。 その後楚の彭城を都と定め、自ら“西楚の覇王”と号して諸侯を対象に大規模な封建を行うが、 その基準は功よりも専ら項羽との関係が良好かどうかに拠っていたため、諸侯の不満を買うこととなり、 また主筋に当たる義帝(楚王)を暗殺したことで叛乱の大儀を与えてしまい、 斉の田栄の挙兵をきっかけに各地で叛乱が続発する。 義帝暗殺を知った漢の劉邦も大義名分を得て蜂起し、楚漢戦争が始まる。 項羽は討伐軍を率いて各地を転戦、戦えば必ず勝ったが叛乱を鎮圧すると別の所に叛乱が起こるいたちごっこを繰り返し、 その間に人心は次々に項羽を離れ、徐々に勢力は衰退して行った。 そしてついに紀元前203年、垓下において初めての決定的な大敗北を喫し、追い詰められる。 四面楚歌はこの時の故事である。 それでも僅かな手勢で包囲網を突破し烏江まで逃げ延びる。 現地の亭長は船を用意して江東へ落ち延びて再起するようにと言ったが、項羽は 「わしは江東に兵を挙げ八千の子弟を引き連れて西進した。その結果がこの有様だ。  これを江東の遺族が怨んでいないと思うか。  怨まずに王にしてくれると言っても恥ずかしくてこちらが願い下げだ」 と断った。 項羽は個々で乗馬の烏騅を烏江の亭長に譲り渡し、従卒を下馬させて追撃軍を迎え撃ち、 ここでも更に徒歩のまま数百人の敵を討ち殺した。 最期は追撃軍の中に旧知の呂馬童を見つけると 「漢はわしの首を奪ったものには千金を与え万戸候に封ずると聞いた。  同郷のよしみだ、この首をやろう」 と言って自刎して果てた。 秦の始皇帝の十五年に生まれ 二十四歳で挙兵 戦うこと八年 漢の五年十二月波乱に富んだ人生を終えた。 三十一歳であった。 将兵たちは恩賞目当てに項羽の死体に殺到し同士討ちで数十人が死んだという。 劉邦はばらばらの死体を持ち帰った五人に対して一つの領土を分割して渡した―― 項羽はとにかく戦場では最強で、連戦の生涯においても負けらしい負けというものは最後の垓下の一戦の外には一つも無い。 その垓下における四面楚歌のエピソードにしても、そもそも項羽をここまで追い詰めておきながら何時まで経っても討ち取れず、 このままでは脱出される恐れも出てきたが故の窮余の奇策であった。 その四面楚歌で部下を数百人に減らしてなお、結局漢が恐れていた江東への逃亡の寸前まで行っている。 その最期も自刎であり、ついに項羽を戦闘で破ったものは現れなかった。 ・性格  短気で単純、子供っぽく豪快と如何にも脳筋な性格。  情に脆く兵たちの境遇に涙したかと思うと、怒りに任せて敵対した城の住民を皆殺しにしたりと  矛盾した行動を平気で取ることもあるが、深い思慮を持つことができない小児的な一面の故である。  実は俗な物的欲望にはあまり関心はないが、おだてには弱い一面もある。  但し、そういった性格から招いた自分の生涯の顛末を体験したせいで、  今は大分自重して思慮深くしようと努めているようである。 ・方針(聖板戦争での立ち回り方)  生前に俺俺主義で失敗した反動か、今回はマスターを主君、自分は武将という立場とみなして  基本的にはマスターの方針を達成することを主軸に考える。  無論ただ命令を待つだけではなく、自らの戦術論を活かして積極的な進言も行うが、  自分には長期的な戦略眼は無いのは自覚しているらしく、全体的な方針については  努めて余計な口出しはしない。  直情的で仁義には篤いので、マスターが悪であると考えた場合には  あからさまなサボタージュをかます。 ・戦闘スタイル(強み・弱点含む)  メインウェポンはポールアーム(史実からすると矛(ボウ)か戈を持つ所だが、今回はハルベルトを選択)。  名馬を駆って高速で襲い掛かり、一撃の下に叩き伏せる。  馬自体も像のごとき巨馬であり、こちらの戦闘力もかなりのものなのでその突進を阻むことはかなり無謀。  武器のリーチも長く攻撃範囲も広いので、半端な陣形などはあっという間に粉砕される。  足を止めたら止めたでこれまた強く、超重量の武器を枯れ枝か何かのように振り回し  破壊の嵐を巻き起こす。 ・戦闘時相性の悪い相手・良い相手  強いのは結局直接戦闘した場合のことなので、搦め手で状況を悪化させて戦略的勝利を狙ってくるような  気の長いタイプに踊らされると勝っても勝っても決着できないといった泥沼にはまるのは史実の通り。  反対に小細工抜きの豪傑英雄タイプ相手は非常にかみ合うが、これはこれで  なかなか決着しない恐れが… ・性格的に相性の悪い相手・よい相手  基本的に体育会系的な先ず体を動かす的なタイプとは話が合いやすい。  逆に物事をくだくだ考え込んだりする策士タイプや内向的な性格の持ち主は  「男らしく無い」ということで侮る傾向にある。  もっとも生前はそういった種類の人間たちに最終的には敗れているので、  評価はしなければとは思っているようである。 ・最後のサーヴァント自身から一言! 「ははは 貴様のようなものでも英雄扱いになるとは  天下とは思ったほどではなかったようだのう」 「尻尾も巻かず殊勝な心がけは褒めて遣わす  褒美に槍の使い方というものを教えてやる!」