■“虚無の悪霊”セルゲイ・ネチャーエフ 革命家とは、あらかじめ死刑を宣告された存在である ―――『革命家の教理』冒頭の言葉――― 1800年代半ば、帝政ロシア時代末期のテロリスト。 1860年代二ロシアで発祥したニヒリズムの思想を、もっとも極端な形で押し進めたのが彼である。 神秘的かつ狂熱的な人物で、その短い生涯の間に多くの人間を魅了したが、 目的のためには手段を選ばず、嘘や裏切りもなんとも思わない危険人物。 1869年にスイスに亡命すると、同じく亡命中の老アナーキスト、バクーニンと『革命家の教理』を執筆するが、 その内容は人間蔑視とも言えるほどの酷くシニカルなもので、徹底的に冷酷な、革命指導者のための規律の書である。 特筆すべきは彼の民衆に対する意見である。 「民衆が反抗の勇気を示すのは苦痛が限度を超えた場合のみである。  したがって、革命家は民衆の苦痛を些かも和らげるべきでなく、  むしろこの苦痛がますます耐え難いものとなるよう力を用いるべきである―――」 1869年秋、スイスから帰ると、彼は秘密グループ『斧の会(民衆裁判)』を組織する。 この際、彼は集まった同志たちに、自分は中央委員会の代表に任命されている、と告げた。 実はそんな委員会など存在しなかったのであるが、絶対の権限を持った委員会の幻影によって、 仲間たちを恐怖させ統率しようと考えたわけである。 ところが、イワノフという仲間の学生が彼の嘘を見破ったらしかった。 彼はイワノフを抹殺した。 この殺人はすぐに当局の知るところとなり、「斧の会」の同志たちは次々に逮捕されることになった。 しかし当のネチャーエフ自身は巧みに国境を越え、ドイツから再びスイスに逃亡する。 彼が逮捕されたのは1872年になってからである。 直ちに本国へ送還され、裁判によって二十五年の禁固刑に処せられた。 名高きペテロ・パヴロ要塞の、アレクシス半月堡と呼ばれる陰鬱な牢獄に、彼は生きながら葬られた――はずだった。 おりしもネチャーエフが投獄された調度その頃、 世間ではテロリズムの波が次第に高まりつつあった。 1878年1月24日、かつてネチャーエフの同志であったヴェラ・ザスリッチがペテルブルグ警視総監トレポフ将軍をピストルで銃撃。 続けて4月、キエフ大学総長が学校の中で暗殺され、その数日後には、憲兵隊の将校が同市の街頭で刺殺された。 更に8月にはペテルブルク再び憲兵隊の将校が殺され、 翌年2月にはハリコフ知事のクロポトキン公爵が、3月にはオデッサで憲兵隊の連隊長が、モスクはで一警官が殺され、 ペテルブルクではある将軍が重傷を負わされた。 4月にはキエフ知事が暴行され、アルカンゲルスクでは警察長官が殺された。 流血の嵐の吹きすさぶ背後で、獄中のネチャーエフは外部のテロリスト集団、「民衆の意思」団と接触を取っていた。 しばらく前から、ネチャーエフは要塞の牢番たちを手なずけ、獄中で秘密の組織を作っていたのであった。 おかげで、囚人同士は手紙を交換したり、新聞を読んだり、外部と暗号で通信したりも出来るようになっていたのである。 そして1881年、この「民衆の意思」団はついに皇帝アレクサンドル二世の暗殺に成功した。 3月1日の日曜、皇帝の馬車に二発の爆弾が投げ込まれ、皇帝は両足を吹っ飛ばされ、そのまま気を失って、まもなく死んだのである。 逮捕された陰謀家たち五人は全員死刑となった。 信ずべき記録によれば、この時「民衆の意思」団は獄中のネチャーエフを脱獄させる計画も立てていたというが、 結局皇帝の暗殺が優先され、脱獄計画は御流れとなった。 ネチャーエフは更に暗い治下牢に移され、ついに壊血病と水腫のため、翌年35歳で獄死した。 ・性格  基本的には気だるく無表情、不活発で、全てを人事のように話す無気力な人物に見えるが、  その目の中には静かながら狂熱的な炎が冷たい火のように燃えており、  忌まわしい負のエネルギーが混沌と渦を巻いている。  革命と民衆の解放という目的のためには一切の手段を選ばず、嘘や裏切りは勿論、  無差別殺人もなんとも思わない冷酷非情の人物。  しかも筋金入りのニヒリストであり宇宙全てに対して絶望している彼は、未来に対しても一切の希望を持っておらず、  そのような手段を以ってしても、自分の理想が成就されることすら信じていない。  彼がテロを行うのは結果を求めてではなく、それが絶望的な世界に対して彼自身が唯一選びうる  拒絶の意思表明だからに他ならない。  ・方針(聖板戦争での立ち回り方)  直接他のサーヴァントと戦ったところで勝ち味は薄いので、基本的には時限爆弾による(主にマスターの)暗殺狙い。  しかし、能力の特性上多くの人物と「縁」を持ったほうが業子が溜まり易いため、  常に徘徊して多くの他のサーヴァントやマスターの間に顔を知られるようにはする。  魅力とニヒリズム感染をフルに活かして、参加者たちの間に混乱を呼び起こす。  何故かマスターとはあまり同時に行動はしないが、御互いのことはきっちり把握しているようで、  必要とあればすぐに姿を表すことが多い。  最終的な目的は聖杯の獲得というよりは、業子の蓄積による業子爆弾の発動で  周囲に関係している全てのものをふっとばし無に帰することである。 ・戦闘スタイル(強み・弱点含む)  方針にもあるように基本は暗殺がスタイルなので、直接戦うということは基本的に無い。  どうしてもそれが必要な場合や、或いは自分で実行して問題が無い場合(自分以上に戦闘力の無い相手を目の前にした場合など)には  斧を武器に格闘戦をすることもあるが、戦闘能力は普通の人間並みなので当てにはできない。  また、業(カルマ)が蓄積すると首枷が重くなっていくため、ますます戦闘が難しくなっていく。  但し、能力の爆弾の殺傷力はバカにならないものがあり、数と威力が成長すれば某ほむほむの  対ワルプル戦みたいな芸当も可能になるので、事前の仕込みさえ万全に出来れば自力で相手を倒すことも  不可能ではない。 ・戦闘時相性の悪い相手・良い相手  基本的に戦闘自慢のサーヴァントに対しては全員に相性はよくない。  頭が猪ならまだ何とかなるかもしれないという程度。  とはいえ、爆弾の殺傷力はかなり高いので、極端な防御力や不死性のような治癒力を持った相手でもなければ  暗殺によって始末することが可能。  問題は単純に爆弾の火力で倒しきれないような相手の場合である。 ・性格的に相性の悪い相手・よい相手  同じくニヒリズムの信望者であれば考え方は合うであろうが、それが必ずしも味方になることに結びつくわけではないのが問題。  それ以外の人間には恐らく彼の行動原理は理解しがたいものと映るであろう。  但し、マスターに少なくない思春期の少年少女などは「ニヒリズム」の感染を受けやすく、  同調するわけではないにしろトラウマや精神的混乱を引き起こす可能性はある。 ・最後のサーヴァント自身から一言! 「革命家ってのは既に最初から死刑を宣告されている人間だ  俺もまた既に死んでいるのさ」 「この世に救いは無い  抗って戦いに身を投じようとその行く先に報いや見返りなどありはしない  あるのはただ今の地獄の繰り返しだ  いいか 人に許されているのはこの世界を受け入れるのかという問いに「否」と返答すること自体、それのみなのだ」